これからデザイナーに求められるのは、コミュニケーション能力やビジネス理解力、お金をポジティブに扱う力だ。専門領域(デザイン)の外側をいかに取り込めるかが問われている。2024年2月、東京・渋谷にてSTUDIO DESIGN AWARD 2023の授賞式が開催され、標記のパネルディスカッションが行われた。登壇者は、株式会社シフトブレインの加藤氏、株式会社ベイジの枌谷氏、そして株式会社gazの吉岡氏の3名だ。ファシリテーターはSTUDIO株式会社の石井。全員に共通するのが、デザイナーの経験を持ちながら、今は代表取締役として会社を経営する立場にあることだ。“経営視点” を軸にしながら、Web業界の未来や各社の今後の取り組み、生成AIの登場や新たなデバイスのリリース。次々と変化が生まれる業界の「今」に注目し、各社それぞれ意見を出し合いながら徹底議論を繰り広げた。Web制作業界の雄が語る、新たな価値となるデザインパネルディスカッションが始まって間もなく、スピーカー全員が「福岡在住」であることに場が盛り上がり、和やかなムードに。その流れから間もなく本題へと進んだ。投げかけられたのは、「Web制作業界はどうなっていくと思うか?」という大きなテーマだ。これに枌谷が反応した。インターネット上のデータ量が、2010年〜2020年の10年間で約60倍に増えたことに言及しつつ、2020年〜2025年の5年間ではどの程度まで増える見込みがあると思うか? と問う。枌谷「調べたところ、約160倍まで指数関数的に増えるそうなんです。つまり、Webサイトの数はもちろん、その一部である企業のWebサイトも多くなると考えれば、基本的には市場も大きくなると考えられます。ただし問題は “利益性のあるビジネス” として維持できるのか? という点です。今のままでは正直、厳しくなると考えています」データ量の内訳として、自動生成されるものや複製されるものも当然含まれると話を補完するが、ビジネスの将来性に対する考えは変わらない。これに頷く吉岡は、農業革命や産業革命と同様のことが起きているのではと続ける。吉岡「革命が起こると、それまでの当たり前が崩れて社会構造も変わる。これと似たことがWeb制作業界でも起きている気がします。アートディレクターのような上流の仕事は残るものの、それ以外は変化を強いられる状況になるのでは、というのが持論です」これに対して加藤は、Web制作業界の方向性として①表現、②コンテンツ、③テンプレートを使った効率化、の3つがあるのではと話す。昔と比べてWebサイトが消費者の購買行動に与える影響は下がっているものの、写真や動画などのクオリティは高まり、価値も上がっているとの見解だ。加藤「表現の部分では、最近だと “Apple Vision Pro” の登場がありましたね。これから色々なクリエイターによって3Dの体験が作られていくと思います。一方で私が期待したいのは、従来の視覚に頼らない表現、例えば触覚や味覚を共有するデバイスです。新しい感覚を持てると人は行動をするので、Webサイトで表現可能な限界の先へ行けるかもしれません」ここでファシリテーターの石井から「生成AIの影響をどう捉えるか?」と、新たな問いが投げかけられた。経営者の目線で考えると、以前は300人必要だった仕事が10人で十分になるかもしれない。すると、生産性や組織の面で変化が生じるのでは、という考えからだ。枌谷「生成AIの利用は加速すると思います。手作業を続ければ、10人中9人が非効率であることを指摘される時代になるのではないでしょうか。では残り1割は何かというと、AIを使った高クオリティなWebサイトがコモディティ化した際の、ニッチな新鮮さかなと思うんですね。『阿部寛のホームページ』や『株式会社光通信』が代表的な例ですが、環境が変わることによって意味が変わってくると思っています。ただ、それらはあくまでニッチであって、マジョリティになるかというときっとそうではない、というのが私の考えです」変革期にあるWeb制作業界、各社が見据える未来の姿これからのWeb業界に対して、変化・変革という言葉を中心に議論が展開されたパネルディスカッション。ここで、経営者としては自社の経営方針をどう定めているのかに注目が集まる。尖った個性・スキルを持つクリエイター集団がシフトブレインの特徴だと話す加藤は、自然に起こる化学反応に委ねた、偶発性に身を委ねる組織ならではの経営を語った。加藤「うちの会社は30名弱の組織ですが、一人ひとりが集めてくる情報量が驚くほど膨大なんです。なぜかというと、Web制作だけでなくブランディング領域やグラフィック、コミュニケーションデザイン全般に興味を持っているクリエイターが揃っていて、しかも全員が自ら学ぶ姿勢を持っているから。こうした環境では、個々の能力はむしろ活かしたほうがいいと思っていて、下手に会社側でコントロールはしないようにしています。クリエイターたちのやりたいことを超・最大化する。それがシフトブレインです」これに対し枌谷は、自身が経営するベイジの方向性として “Web制作会社をやめる” と社内でも明確に打ち出しているのだと話す。枌谷「当社はこれまで、Web制作会社として誇り高く活動をしてきました。しかし、時代の変化を受けて大きく経営の舵を切ることにしたんです。2024年に土台を作り、2025年に型を、2026年に成果を出し、2027年にベイジはWeb制作会社と名乗るのをやめる。社内ではコンサルシフトという表現を使っていますが、組織構造や人材要件なども変えて計画的に変更を進めています。まったくWeb制作をしないわけではありませんが、あくまで手段の一部。顧客の成功のためにデジタル系のコンテンツを提供することに変わりはありません」転換期を迎えるにあたり、経営方針を大きく変える点はgazも同じだと吉岡が続ける。吉岡「この変革期をどう乗り越えていくかのロードマップは、すでに私の中である程度描かれている状態です。本当に今の状況は、印刷の量産化が実現されたことで社会に大きな影響が及んだ産業革命の頃と同じで、時代の流れに合わせながら対応を柔軟に変えなければ生きていけない時代だと考えています。gazとしても今の事業を維持・継続するのではなく、段階的に経営方針や事業、サービスの内容を変えながら変革の準備を進めています」gazはクライアントワークを中心に、UIデザイン事業やスタートアップ、新規事業立ち上げの支援などにも通じている。長期的な変化を見据えた先の事業展開イメージが、ベイジと同様に固まっているようだ。デザイナーが乗り越えるべき、成果との向き合い方ここまではWeb制作業界の変化や経営方針など、方向性や戦略を示すテーマについて触れてきた。最後に掲げられたのは「人材(スキル)」に関する問いだ。人材要件をすでに変えていると話した枌谷は、実際にどういったスキルを社内に求めているのだろうか?枌谷「コミュニケーション能力やビジネス理解力、ポジティブにお金を扱う力などを要件に盛り込んでいます。デザイナーの専門といわれる領域の外側をいかに取り込んで、ミックスできるか。経営者や事業責任者と対等に話せる能力が、もっとも普遍的で市場価値も落ちないのではと考えているので、そこの優先度が今は高いです」しかし、課題もあるという。デザイナー側の視点で考えると、ビジネス思考をどう受け入れるかは難しい問題のようだ。乗り越えるためには、デザイナー以外の人との対話量をいかに増やせるかがポイントだと枌谷は強調する。現場で必要なことはビジネスモデルの理解といった高尚な何かではなく、商品やサービスに関心がある人のインサイトを掴むといった “人の理解” が重要なのだという。 一方で吉岡は、アントレプレナーシップを身につけることも有効だという。デザイナーであれば、オリジナルシールなどの小物でよいので製作し、自ら販売してみてほしいと話す。生成AIの登場などもあり、技術のコモディティ化は進んでいる。今後は個人でできる領域も増え、誰もがジェネラリストになれる時代だからこそ、ゼロイチで何かを作り出せる能力は重宝されるはずだと考えているという。吉岡「アントレプレナーシップを身につけるには、商いを一人でまずやってみることをお勧めします。これは本当に些細なことでよくて、例えばオリジナルのシールを自分で作ってみて売るだけでもいいと思うんです。すると開発から納品までの一通り、つまりサプライチェーンの端から端までを経験することができる。すると、在庫を抱えることのリスク、人を雇うタイミングの厳しさなどなど、経営的な視点が得られるはずです。そういった理解ができるデザイナーは強いでしょうね」ここまでの話を受けて、加藤がこれまでの経験を語る。加藤「成果という言葉に抵抗を示すデザイナーは、思い出してみると多かった気がしますね。成果と向き合い、自分が作ったものがビジネスの観点ではどのような結果を残したのか。それを考えることは本質的に重要なことです。目をそらしてはいけませんが、どう向き合うのかもまた考える必要があります」ではどうするか? これには枌谷が、自らの経験も踏まえた上でアイデアを投じる。枌谷「デザイナーさんが成果に言及したくない理由の1つに “保証できない” というのがあると思っています。でもこれって、いざ依頼主の話を聞いてみると、成果の保証までは求めていないケースが実際は多いんですよね。ただ同じ目線で話してほしいだけだったりする。成果が出る・出ないは、デザインだけに因るものではないことは理解していると思うので、まずはお客様と一緒に、成果の話をするところから始めると良い気がしますね」これには吉岡も同意する。吉岡「私たちもお客様との仕事では、短期的ROIと長期的ROIという話をしています。短期目線だとどうしても数字を求められ、コンバージョンなどビジネス的な結果を追い求めることになってしまいます。一方で、長期での成果を数字で示すことは難しいものの、すでにAppleのような企業がブランドの重要性を体現してくれていますので、説明をすることは可能だと思うんです。デザインとビジネスの架け橋になれる、そんなデザイナーが今後は求められると思います」最後にファシリテーターの石井から、実際のクライアントワークではビジネスの上流にどこまでデザイナーが入っていけるのか? と質問があった。枌谷と加藤はこれに対し、経営の上流までかなり影響を与えられる実感がある、と答えた。枌谷「市場やターゲットに関わることなど、クライアントのマーケティング戦略を理解していなければ、Webサイトの制作はそもそもできません。そのため、制作過程でマーケティング戦略について自然と言及することになると思うんです。市場はどうなっていて、ターゲットはどこなのかと。こうして深掘りすると、意外と多くの会社では緻密に戦略を描ききっていないことに気づくわけです。こういう話を、採用サイトだったら人事、コーポレートサイトであれば経営全般の話をすることになるので領域はかなり広い。過去には弊社で作成した資料をずっとIR資料として使ってくれている会社もありました。ただ、同じデジタルマーケティング支援でも、SEOやデジタル広告だと領域がセグメント化されているので、ここまで踏み込んでいくのは難しいかもしれません。Webサイト制作だからこそ可能なんです」加藤「似たような事例がうちにもあります。あるメーカーさんの製品サイトマップを作っていた時なのですが、製品カテゴリの分類方法に改善の余地があったため、弊社で製品カテゴリを作り直したことがありました。結果、それが実際の製品カテゴリとなり、事業ポートフォリオにも影響を与えることに。こういう話をすると、準委任で仕事を請けていると思われるのですが、うちの場合は請負が多いんです。それでも上流から関わることができるのは、受注前の与件整理の段階から “本質的な課題” は何かという部分と向き合ってもらっているからです。このフェーズを挟むからこそ目的に沿ったWebサイトが作れますし、ビジネスの成果にも繋がるわけです」デザイナーやアートディレクターとは異なる、Web制作会社の “経営者” の視点。そこから伺えたのは、デザインとビジネスの融合、完成度の高いWebサイトの先にある成果だった。テクノロジーの進化を柔軟に受け入れ、不透明な未来と向き合う経営者の姿勢からは、会場の参加者も多くの気づきが得られたのではないだろうか。登壇者(写真左から)加藤 琢磨(株式会社シフトブレイン 代表取締役 / プロデューサー)大学在学中に制作したWebサイトが2002年ソニー・ミュージックエンターテイメント主催、DEP賞を受賞。その後フリーランス、個人事業主を経て、株式会社シフトブレインを設立。デジタルコミュニケーションの可能性を日々模索している。現在は福岡に在住。枌谷 力(株式会社ベイジ 代表取締役 / CEO)1997年にNTTデータ入社。企画営業を経験後にデザイナーへ転身。制作会社を2社を経て、2007年にフリーランスのデザイナーとして独立。2010年に株式会社ベイジを設立し、BtoBマーケティングや戦略コンサル、UXデザイン、アクセス解析などを武器に事業を展開。2017年にナイルのUX戦略顧問、2021年にクラスメソッド株式会社のCDO(Chief Design Officer)に就任した。20年以上東京在住だったが、2022年4月から福岡に移住。吉岡 泰之(株式会社gaz 代表取締役 / CEO)学生時代にフリーランスのデザイナーとして活動後、新卒でZOZOTOWN子会社の株式会社アラタナでECサイトのUIデザイナーを経験。2017年に福岡のスタートアップ、株式会社PearのCDOを経て、SaaSのデザインや動画クリエイション、各種DTP、コーポレートブランディングを手がけた。並行して携わった採用チームの立ち上げ、組織マネジメント業務の経験を活かし、2019年に株式会社gazを創業。STUDIOを使った制作に特化しているのが特徴。福岡生まれ、福岡在住。石井 穣(STUDIO株式会社 代表取締役 / CEO)学生時代に海外留学やWebデザイン、アプリケーション開発を経験。2014年から約2年間バンコクに居住し、東南アジアをターゲットとした旅行サービスを展開。2016年に東証1部上場の大手旅行会社に事業譲渡した。2016年12月、創業者の甲斐が描くビジョンに惹かれてSTUDIOに入社。デザイン及びマーケティングを担当。2017年6月に代表取締役就任。2017年8月にシリコンバレーの「Product Hunt」でトップを獲得した。PLGを推進し、2023年にはユーザー40万人を獲得。